小論文との付き合い方

小論文は、文章力ではなく「言語化能力」を見る。幼少期からの環境で、決定的に差がつく力。

ここ数年、入試においては、従来の一般選抜に対して、総合型選抜、あるいは指定校選抜の受験が増える傾向にあります。

そうなると、重要性を増してくるのが「小論文」です。

この「小論文」もちろん学校によって出題はさまざまなパターンがありますが、意外と対策となると難しいものがあります。特に「国語(現国)が得意だから」という生徒が、案外苦戦することもあるんですね。

なぜ、国語が得意でも小論文でつまずくのか

なぜかといえば、小論文というのは、文章の巧さを問うものではなく、受験生の思考、活動の論理性を示すものだからです。

もちろん、原稿用紙の使い方、誤字脱字をなくすといった当たり前のこと──意外とこれができない人が多いんです──から学ぶことにはなりますが、大事なのは、自分の考えを過不足なく相手に伝えることができるかどうか、という部分になります。

「ムシャクシャしていた」では、小論文は書けない。

よくニュースなどで、事件の犯人が「ムシャクシャしていた」「イライラしていた」と事件の動機を話しているのを聞くことがありませんか?

この「ムシャクシャ」だとか「イライラ」というのは、自分が持っている不満や鬱憤を言語化できず、言語化できないから余計に増幅させ、最終的には突発的な行動に出てしまう、ということが多いわけです。

逆に、「ムシャクシャ」や「イライラ」を言語化することができれば、解決策や対応力も生まれ、自己解決ができるわけですね。

つまり、小論文というものは、文章力そのものというより、考えを言語化できるかどうかという部分を見ることが多いわけです。

「言語化能力」は、幼少期の環境で決まる

そしてこの「言語化能力」というのは、ものすごく個人差が大きい。いわゆる高偏差値の進学校に通っている生徒でも、これが本当に弱い人が多いのです。

よく「センス」という言葉を使いますが、持って生まれた資質ではなく、育ってきた環境で養っていくものなので、少しでも早く身につけさせることが大切になってきます。

例えば、幼児期におもちゃをねだった時に、「どうしてそのおもちゃが欲しいの?」と聞かれてきた子どもは、必死に理由を考えますよね。最初は「どうしても!」と強弁するかもしれません。ですがそこを許さずに接すると、嫌でも理由を考える。これが「論理性」なんです。

小論文という、人生への問い

受験の小論文は、言い換えれば「どうしてうちの大学に来たいの?」と聞かれているようなもの。

そこに、相手が納得、あるいは歓迎するような文章をあてることができるか。そのためにも、早いうちから進路について考えておくことは、大事ですね。