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現代文の読み方、とらえ方


2023.5.31 担当:羽山


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6月に入り、雨の日も多くなってきました。
この時期を「梅雨(つゆ・ばいう)」と言いますが、その語源はご存じですか?
様々な説があるのですが、とりあえず有力なのは、梅の実が熟す時期に振る雨だから「梅雨」という説と、カビの生えやすい時期なので「黴雨」と呼ばれていたものの、「黴(カビ)では、風情がないということで、同じ音である「梅」の字を持ってきたというものがあるようです。
ちなみに「つゆ」と呼ばれるようになったのは、江戸時代から、おそらく「雨露」の「つゆ」がもとになったのでしょうね。

  さて、今回は前回に引き続き、現代文のお話です。

  前回、読書の効用の一つに「論理的思考を身に着ける」というものがあると書きましたが、この「論理的思考」というのは、簡単に言えば、原因と結果をしっかり把握することです。
論説文や評論文というのは、書き手の考えを、不特定多数の人に知ってほしくて書くものです。
書き手の書いた作品を、読みたい人が読む「小説」とは、そこが最大の違いですね。
つまり、読者のほうからアプローチしていかなければならない小説に比べれば、書き手のほうからアプローチしてくる論説文や評論文は、基本的に読み手に対して優しい文章であるはずなのです。

  しかしながら、実感として、こういう文章を難しいと感じてしまうのはなぜでしょう?
専門用語が多くて語彙力が必要だから?
自分に関心のないジャンルやテーマだから?
それもないとは言えません。しかしながら、一番の理由は、「文章が長くて読むのが面倒くさいから」というケースが圧倒的に多いと感じます。
その原因は、先ほど書いた、作者から読者へのアプローチの仕方の問題です。
不特定多数の人に読んでもらいたいので、作者は本文を、わかりやすく説明していきます。
ただ、よかれと思ってしている丁寧な説明が仇となり、本来作者が言いたかったこと、伝えたいことが、うまく伝わってこないのです。
  例えば、「砂糖を取りすぎると太るよ」という話を伝えるために、最初に洋菓子や和菓子がおいしいという話をしたり、砂糖の歴史に触れたり、加糖と無糖と微糖の話をしたりするわけです。
読者にとって身近な実例を出すことで、テーマに関心をもってもらおうとするわけですが、このサービス的なアプローチが長く、細かくなってしまうと、本来のテーマがぶれてしまって、誤った受け取り方をされてしまうわけですね。
ですから、本論(作者の言いたいこと)と、アプローチ(読者を引き込むためのもの)をしっかり認識することが大切なのです。

  ちなみに、今回のこのブログの文章は、まさに説明文の典型になるように書いています。
この文を読んで、作者(私です)がもっとも言いたかったことは何でしょう?
以下の選択枝から選んでください。

  1 「梅雨」の語源について
2 「説明文評論文と小説文の違いについて」
3 なぜ説明文は難しいのか?
4 本編とアプローチを分けて認識しましょう」

  それではまた次回


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